大きな窓、小さな窓
いつもならスマホを眺めて家までの電車を過ごすが、
見ていたアニメが終わり、
通信制限も来ていたため外を眺めることにした。
良さげな場所に描かれたストリートアート。
順番を待つ電車たち。
大きなチョコの着いた工場。
こう見ると窓の外は色んな風景があり、
それが見た目よりも速い速度で流れていく。
共有している人はいるのかと周りを見ても、
普段の自分と同じように小さな窓を見ているか、
耳を塞ぎ目を閉じている。
そういえば、私たちが一日で見る情報の量は平安時代の人の一生分と聞いた。
とても贅沢な時代に生きているのだな思ったが、
それが本当に贅沢なのか。
その多くの情報を有効活用できているとも言えないし、なんならば振り回されることもある。
どんなことでも調べれば出てくる。
これまた結構な時代に住んでいる。
逆に一生分の風景を下手すれば一日で見ていたのかも。
これが本当の贅沢なのではないのか。
これからも情報は増えていく。
もっと便利になっていく。
もっと外を見なくなる。
もっと不自由になる。
明日には、また小さな窓を見る。