トンボ
仕事の帰り道。
トンボが飛んでいた。
通っていた保育園の横は住宅街に変わり
おばあちゃんの家の裏は幼稚園の遊び場になっていた。
地元では開発が進み田んぼが姿を変えている。
その代わりトンボが姿を変えるための場所はなくなってしまった。
小学生の秋頃、夕方になると校庭をトンボが空一面に埋め尽くしていたが
あのような光景をまた見てみたいがこの近くではもう難しいだろう。
今も子供は虫取りをするのだろうか。
そんな事を懐かしむ歳に自分も姿を変えてしまった。
新たな憧れを見つけた。
これまでエッセイという言葉は知っているが実際はどんなものなのかは知らなかった。それを学ぶために何か人気の作品を買ってそれを川沿いにて読むという贅沢な時間を過ごそうと企んでいた。しかし案の定前日に少し夜更かしをしてしまった。朝八時頃に起きようと思っていたが睡眠時間を確保するために八時半に、そこから頭を起こすのに三十分かかり結局いつもと変わらないような時間になってしまった。外の天気も梅雨ということもあり、雨こそ降ってはいないが雲に空は隠されていた。その割に暑い、湿度も高いときている。余計行く気が失せてしまった。
昼になる前に出かけようとしたが、中学時代の友人から電話がかかってきた。最初は間違って電話をかけたのかと思ったがそうじゃないらしい。内容は実家の横が駐車場になる前は何だったかということだった。電話越しに他の中学時代の友人の声も聞こえる。大した内容でもなかったし、その場で答えが出ればかかってくることもなかったが久しぶりに声を聴くことができたのでよしとする。また今度釣りとかを行こうといわれたが今回は社交辞令と思わず少し楽しみにしておく。もし出会っても昔のように話せるだろうか。昔のように戻れるだろうか。
川に行くのは天気のいい日にしようと決め、とりあえず本を買うために近くの古本屋へ向かうことにした。しかし、ネットでおすすめとされていたものが見つからない。人気だからか品ぞろえが悪いのか。おそらく出版してしばらくしているからどうせ古本であるだろうという失礼な気持ちで来たからだろう。ちらっと漫画を見ようかと思ったが一度読んでしまうと今日の目的を達成できずに日が落ちてしまうのでぐっと我慢した。
ちょうどとなりにある総合施設に大きな本屋さんがあるのでそこで探すことにした。普段はあまり活字の本を読まないので探すのに苦労したが無事気になっていた本を購入できた。購入してから気づいたが少し前に芥川賞を取った人であった。学生時代の頃文庫本が出版されて大量に並べた記憶がある。
湖(うみ)沿いのベンチで読むことにした。暑さも風が吹いていて紛らしてくれたので気持ちよく読めそうだ。楽器を練習する人もいて何か一人で楽しむにはいい場所である。一つの作品は数ページのほどであるがそれでも筆者のことがよく伝わってきた。自分にはない価値観を体験して楽しんだり、共感できる部分に喜ぶ。これまで自分の過去のことをあんまり考えたことがなかったが、自分の小さなころを思い出して懐かしめた。
自分もこんな風に自分の気持ちを、自分の脳内をさらけ出してみたい。まだまだ今の文章では「エッセイ」のタグをつけるのは失礼かもしれない。ただの「日記」でしかないかもしれない。けれど憧れを持つことができた。風でぼさぼさになった髪で、同じフレーズを繰り返すサックスを耳にしながら、そんなことを考えた。
いつもを少し変える。
母と共に出かけた。
目的地はいつもと一緒。
昼を迎えるちょっと前にまだ何でもはいるリュックで向かう。
なんとなく新たな発見を求めて一つ隣の道から。
川沿いに建てられた住宅街の横目に歩く。
古い住宅が並ぶ中ところどころにこじんまりとした新しめのカフェを見つける。
カフェかと思ったら昼から飲める居酒屋だった。
まだ昼前なのにすごく混んでいる店を見つけていつもの道から見ていた店だと知る。
おしゃれなカフェは一人で行くことがまだできないけどいつか行ってみたい。
見ているとのどが渇いたのでチェーン店のカフェへ。
いつものカフェオレに少し飽きていたので豆乳に変更。
ガムシロップの場所がわからずそのまま飲んだが、豆乳の優しい味でなくてもおいしかった。
次はアーモンドミルクもためしてみよう。
比較的最近行き始めた雑貨屋さんではいつも時計コーナーをみる。
これまであまり時計に興味がなく、安いスマートウォッチを買ってからはそればかり使っていた。
そこでは定番のクオーツもあったが自動巻きの時計もあった。
スマートウォッチと比べると機能も時間しかわからない。
しかも使わないと止まってしまう。
便利ではないかもしれないが、不便さを味わいたい。
休みの時ぐらいはアナログな生活していきたい。
あと、自動巻きってなんかかっこいい。
憧れ。ユンハンスほしい。
したことは普段と変わらないが、少し変えるだけで新鮮な気持ち。
少し学生の頃に戻れた気がした。
先日、母親が映画券をもらってきた。
見に行ったのは約30年ぶりに続編が出たやつ。
有名なのは知っていたが、初代を見ていなかったのでどうしようかと迷っていたのでちょうどよかった。
朝から初代を見て昼頃を見にいこうと思っていた。
途中で映画券が店頭でないと使えないことに気づき慌てて出かけた。
結局映画の席でぎりぎりまで見るが10分ほど間に合わず最後まで見れなかった。
実際に戦闘機に乗って撮影しているそうで本当にリアル。
特に失神しているシーンはハラハラした。
CGではなかなか出せないGを受けたときに顔の歪みなどがGの凄さを物語っていた。
ハリウッド俳優って戦闘機乗れるんだな凄いや。
映画直前まで前作を見ていたこともあり過去の関係もすんなり分かってよかった。
帰ったらメイキングシーンも見よう。
意外といいかも直前に見るの。かなりリスクだが。
その後学生時代に働いていたバイト先に遊びに行った。
今年の春で同じオープニングバイトで働いていた人たちもほとんど卒業してしまった。
顔ぶれも変わっているかなと思っていたが、ほとんど変わらず。
新人があまり来てくれないらしく、結局ベテランで回しているらしい。
社員さんも皆来ていた。嬉しいがそれだけ忙しいのだなと複雑な気持ち。
久しぶりに来たにもかかわらず歓迎してくれた。
卒業してからもまた行きたいと思えるような場所で働けて良かった。
いつものように在庫が余っていたり賞味期限の切れたお菓子をもらいながら
近況報告をしたり雑談を楽しんだ。
いつも少しだけと思っていても1時間以上いてしまう。
こういうところをサードプレイスっていうのかな。
昔に戻った気分で今にもバイトに出てしまいそうだ。
カタチにのこそう。
仕事の疲れと少しの睡眠不足で意識が朦朧としていた。
最寄り駅に着くときれいな夕焼けが広がっていて目が覚めた。
昔ならこの景色もすぐに写真に収めていたが、
気恥ずかしさで持っているスマホをその景色に向けず、
ただ自分の目で見ることしかできなかった。
目の前の女子高生がさりげなく写真を撮る。
こういったただ単純にいいと思うものに対してカタチに残すことができなくなってきた。
自分は周りに誰かいると何かいらないことを考えてしまい行動にうつせない。
何か名所でもないもの、日常にあふれているものに対してだと特に駄目だ。
学生という身分から社会人に変わっただけ。
歳も学生のころからたった二つとるだけだ。
それなのに自分は何かもうこういうことをしてはいけないと勘違いしてしまっているのではないだろうか。
これからは誰が見ていようともいいと思ったものはカタチに残そう。
この文章も一つのカタチだ。